数学の勉強は、思考パターンを増やすこと!

 最近、よく教育者のなかでも、「今の子供は国語力がないから他の教科の学力も上がらない!」ということが言われています。確かにそういう言い方をしてしまえばそうも受け取れるのですが、国語力と言ってもさまざまな意味を指します。語彙力や文章力や要約力、読解力や引用力といったもの、これらはすべて国語力に含まれます。でも、実際にそうなのでしょうか?
 最近、私は中学生の数学を見ていて、「数学の問題を一生懸命考えることで、同時に国語力という力もどんどん上昇していくのだ!」ということを感じるのです。国語力がないから数学もできない!はあまりに早計な考えで、「国語力を上げたければ、数学の問題を一生懸命考えろ!それほど、数学というのは思考の過程で収穫の多い教科なのだ!」このように考える方が正しいのではないかと思うのです。

 計算問題でも文章問題でもそうですが、私の場合も、問題を解く際には、「ああでもない、こうでもない!じゃあこの角度から過去の知ってる知識で突破できるかやってみよう!」とか、「そのまま真っ向から立ち向かってもダメだぞ!いったん、ある条件を整理しまとめてからやらないと!」とか、「これは約分をして簡単にして、そして同じもの同士をまとめたらすっきりするから一歩答えに前進する!」というように頭の中は、実は最後の答えを導き出す行程において非常に論理的な思考を展開していっているのです。

 距離と速さと時間の関係の問題なんてまさにそうです。文章で書かれたものを自分がまさにその行動をとるとして実際にリアルにイメージしながら図で表す。そうすると、「A君は家から駅まで行くのに、家から八百屋さんまでは分速〇mで…」とかいう問題を読み始めたら、思考が抽象化していくようになるのです。「最終的に答えを出すには、この条件がわかってないから、そのためにはこの数値とこの数値を使ってまずはこの値を求めてやらないといけない!」そういうような思考がだんだんと身についていくようになる、それが正しい勉強のやり方で、同時にこういう思考回路が確立されていけば、どんな問題に出くわそうが、しり込みすることもなくなり、相対的な国語力というのが身につくのだと思うのです。

 パターンを覚えてしまえば次に同じ問題が出てきた時には出来るようになる、これも間違いではありませんが、私は、一つの問題と対峙した時に、その中に出てくる言葉の概念をしっかり考えたり、物語として捉えたり、要約したり、不要な部分は削り取ったりというというというオールラウンドで考える力を楽しみながら身に付けていってくれることが、生徒たちの真の学力の向上に繋がるのだと思うのです。

 そういう意識付けで育った子供というのは、社会に出てからけっして、「昔習った数学なんて社会のどこで役に立つねん!」なんて言葉はけっして発しないでしょう。今の社会人でも、芯がしっかりしていて論理的思考に長けているなあ、と感じる人たちはきっと子供のころに数学の問題を解くときに真正面からぶつかっていってたのだと思います。

 したがって、お父さんやお母さんに言いたいことは、「うちの子供は国語力がないから数学も出来ない!」なんて思いは今日限り捨てていただきたいのです。それから、もう一つ気になることが、文系と理系を分けて考えることです。「数学が出来ないから、俺は完全に文系や!」みたいなことがいまだによく聞かれますが、私が書いたこの文章を読めば、そんな考え方がいかに意味のないことかということも感じていただけるのではないでしょうか。