野生のカンをいかにして?

勉強のとき、「野性的感覚で解け!」という先生はいないでしょう。でも、私は、勉強においても野性的感覚がある生徒に魅力を感じます。そのような生徒は、自分のこれまで身に付けた知識では答えが出ないようなときにでも思考がそこでストップせず、別世界の中から五感を研ぎ澄まし、解に結びつく何かを選び出してきます。そんな能力は、なかなか鍛えられるものではありません。五感以外の感性が成しえる技といえるでしょう。
 昨日、ポケモンGOが遂に日本でも解禁され各地でブームを巻き起こしています。ゲームの魅力だけでなく、アメリカではポケモンGOというゲームをすることで自閉症の子供の症状が改善された、という症例なども報告されています。やはり、ゲームに熱中することによる弊害を唱えることよりも、様々なものがゲームフィケーション化されていく世の中の進歩のほうが優先されるべきだと私は感じます。私も、ダウンロードはまだですが、この先、魅力を是非、体験しようと思っています。

しかし、一方で子供たちを見ていて感じるのが、野性味の足りなさです。夏であれば、小銭が少ししかポケットに入ってない中、友達と山や川で汗びっしょりになって時間を忘れて遊ぶといった中で作り上げられていく世界、そんな自然の中でセミが“ミ~ン”とうるさいほど鳴いている中、じっとセミが木から飛び立つまで辛抱強く網を持っている時間。そのような時間の中では、予期せぬ自然の計らいが起こりえるものです。スズメバチの大群に出会ったり、何かわからぬ動物の糞を踏んずけそうになったりという…。このような自然を通じた予期せぬ出会いの中で脳がいかに感動するかが大切で、その経験値が多いほど、人の感性に磨きがかけられるのだと思うのです。ゲームをしてはいけないとは私は言いません。没頭するもよし。でも、別の瞬間にス~ッとっ自然の中に入り込んで人間らしく振舞う行動をとる能力をこれからの時代は問われてくる、そんな気がしています。