「学びというのを、オープン、且つワイドにしていこう!」最近、子供たちの学習を見ていてこう思うことが増えてきています。特に、春休みというのは、新旧学年が入れ替わるときで生徒にとってはいわば"宙ぶらりん"の時期。自由奔放とまでいかなくても思いっきり自由形で学んで欲しい、そういう思いが強いのです。
しかし、この時期に学習塾では何をやるのかといえば、徹底してこれまでの復習を行います。その学年で特に重要度の高かった単元をもう一度テキストや問題集を用い再学習する、こういうやり方です。要は、やり残しているところを探し出し休み期間のうちにクリーンアップしてしまおうということです。このやり方自体は、正しいやり方でけっして間違いだとは言いません。
でも、そうなると気をつけなければならないことが出てきます。それは、全体としてこういうことをやるからという中に生徒全てを巻き込んで一律で同じことをやらせるやり方をしている塾。これはけっして望ましいやり方ではありません。何故なら、生徒一人一人やり残している内容や量に違いがあるからです。それを全体の授業みたいな形でやってしまうとどういうことが起こるかというと、出来る生徒というのは不足感が生まれますし出来ない生徒というのはますます飽和状態になり出来ないという意識の上塗りをしてしまうことになってしまうのです。勉強嫌いに拍車がかかってしまいます。
したがって、今の春休みという時期に大切なのは、まあこれは春休みだけではないのですが、春休みは特に、一人一人の生徒の理解のレベルや進捗や能力の違いなどをしっかりと精査したうえで、その生徒に合った学習プランを立てるということです。保護者の方には、そのような見方で是非、塾選びをしていただきたいと感じています。
それから、もう一つ私が言いたいのが、学びというのはけっして「枠にはまらない!」「型にはまらない!」ように子供たちに意識をさせていくこと。そのために保護者の方から先ずはこれまでの考え方からシフトチェンジしていってもらいたいのです。よく、漢字なんかでも「この漢字は〇〇年では習わない!」といったようなことを耳にしますが、このような考えはこの春休みという時期を利用してうまく取り除いてもらいたいと思います。英語でも、「この単語は高校行ってからでないと習わないから今は覚えなくていい!」なんてことを平気で言う人がいますが、こういう考え方はひじょうにナンセンスです。脳がプルプルと震えている、そんなチャンスが到来しているときに自らシャットアウトしてしまう、そんなもったいないことはありません。ましてやそのような単語は脳にとっては良質なもので栄養価がものすごく高いわけです。もともと学習要綱というのは文部科学省が決め、それも年々変更が加えられていきます。小学5年生でやるものを、「来年からは5年生でやります!」ということにもなるわけなので、それに馬鹿正直に沿う必要などまったくないのです。
学びというのは、本来、オープンに且つワイドにしておいてやるということが、脳の働きにとってはいいのです。これは、読書についても言えることで、小学生だからと言って児童文学ばかりを読ませる必要はありません。大人と一緒に夏目漱石などの名作を読ませていくほうがいいのです。
頭をよくするというのは、けっして記憶力や集中力をどのようにして高めるかや、ノートの取り方などといったそれぞれのパーツで見るのではなく、このように「学びとは?」という抽象度の高い視点で考えていくことが大事だというのが私の考えです。
教育に熱心な保護者の皆様方には、このような視点で自分のお子さんに目を向けていただくようにしていただければと思います。そうなれば、子供は自分が持つ力を信じ隠れた能力もどんどん発揮していってくれるようになります。これは、上手な子育てとも結びつくお話ですので、是非、参考になさってください。
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