勉強とは目の前の見晴らしをよくすること!

 勉強とは、「目の前のかすんだ視界をくっきりとクリアな状態にする!」こういうことだと思います。目の前にもやがかかったような感じでは思い切って前に進むことが出来ません。左右に歩を進めても何かの障害にぶつかりそうではままにならないでしょう。だから、そのもやを少しずつ丁寧に自分の手で取り払っていく。このようなたゆまぬ緻密な作業の繰り返しが勉強だと思うのです。
 もやというのは水蒸気が成分です。粒は細かく大気中には無数に存在します。したがって、取り除くには日々努力を続けることが必要なわけです。このようにして水蒸気の成分を取り除くことを引き換えに人は生きる力という小さな細胞を手にし、手にする細胞の数が多ければ多いほど望む人生を歩むことが出来るのです。
 しかし、今の時代は、水蒸気だけでなく大気中にはさまざまな微粒子というものが存在します。体に害を及ぼすものやどんどんと繁殖を続けるようなものもあります。これらを取り除くのは容易な作業ではありません。自分の力ではどうしようもないこともあるでしょう。だから、互いに協力し合う仲間という存在が必要になってくるのです。学校のクラスの仲間や塾で席を隣り合わせる友は今まで以上に必要なのです。水蒸気やそれ以外の微粒子を取り除くやり方を教え合ったり、気持ちの部分でも支えあったりすることで乗り越えていく、つまりもやを晴らしていくことができるのです。

 また、時には先人の知恵や過去の歴史の出来事からヒントを得ることで、10倍やさらにはそれ以上の水蒸気や微粒子を一気に片づけたりすることも可能になる、学びにはそんな予想だにしない力も隠されているのです。

 ところが、このもやが最初から晴れてしまっていては脳は喜びません。活動しようとしないのです。そういう特徴を持っているのが脳という器官なのです。曇っていればいるほど脳というのは喜びを感じ、「晴らそう!それにはどうすればいいのか?」という期待をもって毎日を迎えている、脳とはそういうものなのです。

 だから、生徒たち一人一人には自分たちが必ず一人一つ持っている脳というものとのかかわりを大切にしてほしいと思います。脳は勉強をやりたがっているんだと、日々、何が起こるかがわからないことに出会いたくって仕方がないんだと。そのことを信じて毎日いろいろなことに触れあいチャレンジしていってほしい、そうすると見晴らしが少しずつ良くなってきたと感じたときにはもう人生が楽しくて仕方がない、そうなるのが人間の本来の生き方であると私は考えて子供たちと日々触れ合っているのです。