学びは、稽古、そして修行♪

エクササイズ!トレーニング!


YouTubeなどを見ておりましてもこれらの言葉に数多く出くわします。

英文を毎日音読するといったエクササイズで英語力アップ、脳トレ学習で暗記力の向上などといった具合にいろいろと出てきますね。

 

しかし、私は、これらの言葉が持つ軽さがどうも前から気に入らないのです。

時代の流れでしょう!カタカナ語を使うのは。と言われれば確かにそうかもしれないのですが、どうも日本人らしくないというか、肚が決まっていないというか、腰が入っていないというか、どこかしら脆さのようなものを感じてしまいます。考えすぎでしょうか。

 

カタカナ語は、確かにかっこよくもあり歯切れもいいですし、使いようによっては複数の意味を含ませることも出来る便利な言葉です。

 

反対に、上にあげたエクササイズやトレーニングを日本語で言うと、練習、訓練、稽古、修行といった言葉になります。これらをコミュニケーションの中において使うとなると、どこか重く暗く古臭くも感じてしまうこともあります。

 

でも、学びという世界の中でこれらの漢字の表現とカタカナ語の表現とを比べてみたときに、私の場合は漢字で表現する方が圧倒的に力が入るというか心がこもる感じがするのです。

 

学びは脳でするものといった器官のみに限定した考え方しか出来なければ、身体が離脱し力が入らず、軽くても様々な意味を含有するカタカナ語の方がサラッとしててシックリいくということになるのです。

 

これに対し、学びというものは当たり前ですが全身を使います。肚に力を入れ声を思いっきり出して音読した方が記憶にも残りますし臨場感を抱きやすくなります。ペンでアンダーラインを引いてノートにまとめて再度、読んでみるといった自分なりの学習の型作りにもなります。その結果、血流の流れも良くなりますし、脳の働きも良くなるというわけです。

 

だから、出来るだけ私は、学びも稽古や修行といった古臭さを帯びたままの言葉を使うようにしています。そのほうが、体の全身から脳を活気づけ、基本の学習体系づくりも効果が上がると言えますし、集中力も増し姿勢や言葉遣いの改善といったところにも良い影響を与えると思うのです。