「学習とは、曖昧という目には見えないウィルスを撃退していくこと。」
こういった言い方が出来るでしょう。
新しい知識ややり方を習い身につけようとする中で、どうしても「これはなんていうことだったっけ?」とか、「あ、どうしてこうなるんだったっけ?」といった曖昧さというものが顔をのぞかせてきます。
これは、誰に対しても起こることである意味仕方がないことです。学習という労働の結果生まれ出てくるいわば老廃物のようなもので自分でも自覚できていなかったり明確に認識できていなかったりします。
しかし、老廃物をためておくとやがてそこから曖昧ウィルスが誕生しウィルスの増殖により人をどんどん勉強嫌いにさせていくという恐ろしいことが生じてしまうのです。
こうなってからではなかなか元の健全な状態に戻ることは難しくなります。
だから、普段、学習する中で気を付けたいのは、新しいことを習ったときに、曖昧さという違和感や不快感は残っていないか、ここをしっかりと自分でも確認をし、もし、少しでもあるようならそれをできるだけ取り除いていくこと。この作業が学習の中であることが大事なことなのです。
また、周りもその点を注意してみていく必要があります。曖昧さというウィルスが残ってしまってるな!と感じるようであれば、ウィルス増殖によりその後、どういう悪影響を及ぼし本人にとって良くない方向へ進むのかということをわからせるようにしていかなければなりません。
普段、何気なしに口から取り入れている食物も、体に害があればそれが長期に至ることにより取り返しのつかないことが起こりうる可能性があるのと同様、普段の学習もなるべく曖昧さというものを後に残さずに終えるという習慣をつけていくこと。これは、非常に大事なことだと申し上げておきます。
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