私の役目は生徒を活躍させること♪

生徒たち各々は、学習という環境の中で活躍すことを望んでいる。

したがって、われわれ教育者は、「いかにして子供を活躍させるか!」に注力しないといけない。

このように私は思います。

 

しかし、そこで大切になってくることがあります。それは、生徒各々が活躍する場面は違っていいということで、これを野球に例えると、みながみな4番バッターの強打者にならなくていいということになります。バンドで確実に走者を送る、出塁すれば盗塁を成功させる、確実にファーボールを選ぶ選球眼を持つといったように野球の中でも活躍出来る場面、自分を生かせるところというのは人それぞれでしょう。

 

勉強も同様の考えが出来ます。

みながみな、100点を目指して学習に取り組む必要なんてありません。教育熱が昂じてみながみな大学は東京大学を目指して勉強に励むというのはおかしいでしょう。

しかし、子供はいったん学習塾というところへ親の意で放り込まれると、ニンジンをぶら下げられた馬のごときニンジンしか見えなくさせられてしまうというのが教育の現状です。

 

学び方についてもそうです。暗記、反復、テストでそれらを再現する、これらを出来るだけ早いうちから習慣化させ、時間とお金という資源を使うことで将来の安定というものを手に入れようとしてきたのがこれまでの学習塾のやり方で、今もそう変化はしていません。その結果、皆が合格率や進学校名で学習塾を評価し、子供たちは優劣をつけられる、いわば商品だったわけです。この子は出来がいいとか、出来が悪いなんて言う言い方を聞かれたことがありますよね。

 

でも、私は、みなが100点を目指すような教育のやり方を是とはしません。比べるということも意味のないことに気づいています。

70点でも50点でも、その生徒が活躍できたかのほうが価値が高いからです。仮に、100点を目指していて結果、100点でなかったらダメだったということになります。しかし、70点を目指した生徒、50点を目指した生徒には、そうなるためにどういう課題を設定し、どんな取り組みをしたのか、そこに対する納得感や満足感は得られたのか、また、私がその子に対してどこまでかかわることでその成果があったのか。こういうことに熱を燃やすのが本当の教育でこれから目指す先だと思うのですがいかがでしょうか。

 

もう一度、書きますが、子供たちの活躍の場はそれぞれで違います。違って当たり前なのです。それでいいのです。

 

そこでどんな花を自分は咲かせられるように頑張るのか、我々がフォローできるのか、その結果、子供たちやご両親やそこにかかわる我々がガッツポーズをとれるのか、そこにこだわり続けるのが私の教育理念であります。

 

今年も生徒の人数分のガッツポーズを生徒と保護者と一緒にとる、これが私の目標です。