10日 1月 2019
受験日が近づくにしたがって、気持ちに焦りが出たり、落ち着かなかったりする日もあるでしょう。そんな時、「本当に受かるんだろうか?」とか「勉強してきたことがテストにぜんぜん出なかったらどうしよう?」といったマイナスの感情が次から次へと出てきて目の前のやることに集中が出来なくなる、こんな悪循環に駆られている生徒をよく見かけます。...
04日 12月 2017
「まったく学ぼうという意欲がないなんていう生徒はいない!」これは私の経験上断言できることです。エッと思われるかもしれませんが、これは本当です。最近、ある一人の生徒を観察していてつくづくそう感じます。確信できる、間違いないことだと。意欲がない生徒を作り出しているのは周りの環境であって、環境やきっかけを与えてやればどんな生徒でも何らかの変化が生じる、学ぼうという芽が膨らんでくる、そう考えて間違いはないのです。 どの学校にも勉強をほとんどしないという生徒がいますし、成績もほぼオール1といった生徒がいるのは事実です。しかし、このような生徒に学ぶ意欲がないとか、興味や関心がないのかというとそれは違います。大概が、親や先生の決めつけによるものなのです。長年の蓄積によって、「僕は勉強が出来ないんだ!」「勉強が嫌いだ!」という意識が土壌の奥底にまで広がって抜こうにも抜けない、そんな状況なのです。 例えばですが、私は、5教科の成績がオール1という生徒は見たことがありますが、5教科すべて0点という生徒は見たことがありません。いくつかの教科は、たとえ一桁という点数であっても点は取れています。0点か10点かというのは大きな違いです。しかし、一般的に周りには、90点や100点を取ってくる生徒がいるため、そんな生徒と比べてしまい、「この子は勉強が出来ない!」というレッテルが貼られてしまうのです。これが教育上の元凶なのです。一般的に勉強が出来ない、と言われる生徒と膝を向き合い会話が出来るようになると見えてくることがあります。勉強嫌いという意識の中にも、「この教科はまだ好きなほう!」といった優劣が見えてきたりします。さらに、もっと深く入り込んでいけるようになると過去の栄光のようなものまで引っ張り出してくることが出来たりするのです。「なんや~、小学校のころは国語好きやったんや!」みたいに。 生徒と一緒になってこの部分を見つけたり探し出すのに私は長けているのかもしれません。人はいいものをいっぱい持ってますし、本人や周りが気付いていなかったり、意識できてなかったりするだけなのです。これに気づいてあげるように、先ずは耳を傾けてあげることが教育のスタートといえるのです。 それでも「ほんまになにもやりよらへん!」「まったくやる気がうちの子はないわ!」そんな声も聞こえてくるでしょう。でもね、そういう子たちっていうのは、実は、「何をやったらいいかがぜんぜんわからない!」のです。教科書を読んで線を引くのが勉強なのか、問題を解いて丸つけをすることなのか、それすらじゃあどうやってやればいいのといった世界なのです。 でも、ここで注意しないといけないのは、「すべて、1~10まで与えてしまわない!」ということです。彼らにも、経験上の成功例や達成感といったものはすでに蓄積されているので、それをどのようにして活かし、その上塗りをしていくかです。勉強は全然ダメでやる気もなくても、LINEの複雑な機能を覚えたり操作方法をマスターしたりすることは自力でやってのけるのが今の子供。ゲームの攻略方法なども記憶し、0コンマ何秒という間で正しい判断のもとに器用に手先で操作をしているのです。これらを勉強に活かさない手はありません。こういうときにどんな気持ちになっているのかをイメージしてもらいます。出来たときにどんな感情が沸き起こっているのかを振り返ってもらいます。好きだ、やりたい、ということは他のことを放っておいても時間を惜しんでもやるのが人間で、特に子供の場合はそれが顕著です。 ならば、勉強というものをどのようにして、自分にとって「やりたいこと!」や「興味あること!」や「必要なこと!」にしていくかです。押し付けなければ、まるでカギが開くときの一瞬のように、ピタリと合う瞬間というのがあるのです。ここだ!という瞬間です。それが見つかれば、あとは漆を器に塗り付ける作業のように何度も何度も根気よく続けるのみです。見た目は変わったように見えなくてもそれでも何度も何度も繰り返すのです。そういうものが教育というものなのです。
30日 9月 2017
 夏休みが終わり、2学期も早やひと月が過ぎ去りました。9月という月は夏休み明けで何かと行事も多く子どもたちにとっては勉強に集中するのが難しい月であると私は感じています。しかし、クラブや体育祭、文化祭といったものも大きく捉えると学業という括りに入ります。大事なことは何かに集中できる自分がいるかどうかということです。ここ1、2か月のうちで私も何人かの生徒のクラブの試合や体育祭を見学させてもらいました。そのときに感じたことが、塾では見られない子供たちの生き生きとした姿です。このような姿を目の当たりにすることで私は大いに安心しましたし、この輝きを是非、勉強に活かしてほしい、そう強く思いました。「この輝きがあればきっと勉強でも力を発揮できる。」そうなるように子供たちを導いていくのが私の役割なのだと。  生徒たちの学習を日頃観察していると気付くことがあります。それは、学習しているときに子供たちから垣間見られる嬉しい感情です。解かった瞬間に見せる笑みややり切った後の安堵の表情といったものです。これらを着実に積み重ねていっている生徒は確実に成績が上がります。それは脳の学習回路が強化されていってるからなのです。簡単に言うと勉強が好きになるということです。  10月は中学校では中間テストがあります。それぞれに目標を決め、何をしなければならないのかを考え、それに向けて学習回路を思いっきり回していってもらいたい、このように感じています。また、そのときに全員の生徒に意識してもらいたいことというのがあります。それは、「ここまで!」といったような枠を決めないで欲しいということです。思いっきりやって今まで自分が作り出してしまっていた枠を外して今まで見えてなかった世界を是非、体感していただきたい、このように思うのです。
18日 9月 2017
子どものチャレンジングな姿勢を背後から支えることが親の唯一の役割である、そう感じます。 もともと、子供は好奇心旺盛です。何でもかんでも手に取ってみてその感触を確かめてみたり形をゆがめてみたり逆さにしてみたり…...
19日 8月 2017
 ALL for ONE では、土曜日は隔週で授業をしており、祝日は基本的に授業を行います。今日は、土曜日や祝日に塾をする意味について書かせていただこうと思います。  まず一つ目には、補習としての意味があります。生徒各々に対し、個別に学習計画を立てそれに沿って進めていくのが ALL for ONE...
10日 8月 2017
私は、生徒たちが学習するうえで非常に大切に考えることがあります。唐突ですが、それは何だと思われますか?30秒ぐらい目をつむって考えてみてください。どうでしょうか。今日は、このことについて少し書いてみようと思います。...
15日 7月 2017
さあ、いよいよ来週から夏期学習がスタートします。夏期休暇というのは約40日にもわたる長丁場です。スタートがあれば必ず最後にゴールというものが存在します。通常、塾に通っていない生徒の場合、ゴールは「宿題をやり終える!」ということになるでしょうが、塾に通っている生徒の場合は各々が明確なゴールを持つ必要があると私は感じています。しかしながら、生徒自らに「ゴールを持て!」と発破をかけたところでなかなかうまくいかないのが現状です。そこで、塾側は「生徒たちが各々のゴールが見える!」ように下地を作ってやる必要があります。ALL for ONE では、1学期に学んだ内容の学力診断テストを夏休み直前に行い、その結果をもとに私自身が生徒一人一人の学習カリキュラムを作成するというかたちをとります。皆が一様に同じ夏期講習テキストを進めていくというやり方はしません。こうすることで学習内容に"ムラやムダ"がなくなります。一人一人の学力や進捗状況に照らし合わせ「何をやるのがベストなのか?」ということを塾長の私が考え抜きますので、結果として生徒たちはゴールを見据え学習に集中できるというわけです。あとは、私の役割といえば大半がメンタル的なフォロー、そして総括的なマネジメント。これは特に夏だから変わったことをするというわけではないですが、私自身が日頃からしっかりと学び、上質なインプットと的確なアウトプットを繰り返し行うこと、これは今もこの先も変わりません。最後に、ここにもALL for ONE では重きを置いています。それは、生徒、保護者、塾側とのバランスのとれた三角関係です。保護者の方との連携も密にしながら子供の日頃の頑張りが家族全体にもよい影響を与えるようになっていってくれればわたしとして幸甚この上ありません。
26日 5月 2017
 今日は、子供の勉強に対する親の関心の持ち方についてお話しします。たいていの親が子供の勉強に関心を持ち、少しでも「学校でいい点数を取ってほしい!」「勉強が出来るようになってほしい!」という思いをお持ちでしょうが、それでもじっさいには子供が学習机に向かって宿題かなにか勉強をしているとき、どんなふうに声を掛ければいいのかとかスムーズな会話が子供と出来るようになるにはどうしたらいいかなどについて悩まれている方は多いと思います。「あんまりうるさく言うとかえって煙たがられる!」とか「難しいことは聞かれても教えられないし、かと言って放っておくと心配!」といったような声をよく耳にします。  そんなとき、私は、面談などでもよく言うのですが、子供さんのこんな部分に関心をもって見てあげて欲しいということを言います。それは、子供が勉強をしているときに『どれだけ耳・手・口をオールマイティに動かしているか』ということです。頭を柔軟に働かせながら、新しい知識を取り入れたり複雑な問題を解いていく上においては身体の中のあらゆる器官を効率的に働かせることが望ましく、是非、そのような点に関心を向けて子供の勉強を観察して欲しいということを言うのです。  英語の勉強なんかにおいては特にそれが言えます。今やeラーニングを取り入れた学習スタイルもごく当たり前になってきている中、教える側から教えられる側へ一方向へ知識という情報を流していくというやり方ではなく、双方向に知の循環濃度を濃くしていくようなアクティブな学習スタイルへますます変容していくのがこれからの時代です。そのためには、耳・手・口をオールマイティに働かせる必要があるというわけなのです。eラーニングで英語を学習しながらでも、PCの講義の中で出てくる大事なセンテンスや単語をオウム返しのように発声している生徒、それから出てきた重要語句などを手元のノートにまるで速記をしているかのように書き写している生徒とは半年から1年ぐらい経ったときにはそういうことをせずにただ同じ時間耳もしくは眼だけで学習している生徒と雲泥の差が生まれてきます。勉強中にたとえどの器官かでもずっと休ませているというのはひじょうにもったいないことで、使っても減らないばかりか五感というのは使えば使うほどむしろ機能強化されるというわけなのです。そこに関心をおいて声掛けをするようになれば子供との関係にも変化が生まれてくると私は思うのです。  したがって、自分の子供が勉強している姿を見たときには、「出来てるの?」「解ってるの?」といような声の掛け方をするのではなく、「今やってた勉強の中で手はどのぐらい動かしてた?何%ぐらい?」とかいったような声掛けをするとよいと思います。もしもそのときに、「アッ、ぜんぜん使ってない!」ということだったら「頭だけで覚えようとするのではなくて体全体で覚えようとするほうが記憶力は上がるよ!」とか「じっさいに自分が書いたものを自分の目で見てさらに声に出し耳に入れることで神経細胞の結びつきが強化されるよ!」というように言ってあげればよいと思います。  このように、関心の方向を変えこれまでとは違った視点で子供を見るようにしていけば子供が示す親への態度も変わってくると思うのです。「わかってるわ!うるさい!」といった感情的表現も少なくなるのではないでしょうか?「今、わりと声にも出してたけどどうかなぁ!もっと出したほうが覚えられるかな?」というような会話も生まれてくるような気が私はしています。  いずれにしても、子供の勉強のことが気になればなるほど接し方で上手くいかなくなることは私も十分に経験しているつもりです。「こんなときどう言うたら素直にやってくれるんやろう?」とか「何も言わずやるかやらないかは子供に任しておくしか仕方がないな!」などという思いを親が持つのも子供の思春期においては当然の流れと捉えておいていいでしょう。そんな中、少しでも子供の学習効果が上がり、子供との関係も良好にしていきたいと思われる方は、是非、参考にしていただくと良い方法だと思います。
16日 5月 2017
 過程をいかにして楽しめるか?これが勉強のコツだと言えます。それは料理で考えるなら、材料が与えられ、その後、素材を生かしどのような料理に仕上げていくか?であり、この道のりを一つ一つ経験していくことが勉強においては大切なのです。素材に触れ、時には削り切り刻み、味付けをし、火にかけて最後にお皿に盛るまではいろんな出会いや気づきがあるのと同様、勉強においても最初に決まりや公式を教わりそれを活用しながら反復したり何度もチャレンジしたりすることで、ようやく概念的な理解に至るのです。  ところが、今の子供はコンビニ慣れしているせいもあってかすぐに答えを知ろうとします。また、短時間のうちに理解している状態でないと居心地の悪さを感じ、もう一度やり直してみたり、違う方法を試してみたりといった手の込んだことをする子が極めて少ないように感じます。  解らないことに時間を費やせば費やすほど、それが出来たときに放出されるドーパミンの量は多いのです。簡単にすぐに理解の沸点に到達するような問題ばかりを求めていては肝心なドーパミンは一向に出てきません。「小学生ぐらいまではそこそこ勉強が出来ていたのに今は…」というような悩みをお持ちの親御さんの子供を見ているとかなりの確率でこういった傾向が見て取れます。  年齢を重ねるごとに学ぶ知識の量も増え、深みは増してきます。レベルが少しずつ上がっていく段階においては、そこで我慢したり、チャレンジしたり、ときには勇気を振り絞ることも必要になってくるのです。人というのは、マラソンに例えても同じことが言えますが、少しやればもう少しやろうという欲求が湧いてくるものです。最初は、10㌔やハーフのレースで満足していてもそれを続けることでついには「フルマラソンにチャレンジしよう!」と思えてくるようになるのです。フルマラソンのほうがしんどいし辛いことは分かっています。でも、少しずつの積み重ねがやがては大きなものへのチャレンジ精神を掻き立ててくれるといったそんな仕組みが脳にはあるのです。  出来合い物は、見た目も味も非常によくできていますが、そこに至るストーリーが自分のものではないというところが最大の欠点です。食べ物で言えば、胃に入ってしまえばそれでお終いなわけですが、 勉強においては、例え即座に答えを手に入れたとしてもそれは何の意味もなしえません。知識として定着しないばかりか、その後の自分の考える力や知の探究心といったものまでも奪い取ってしまうことになるのです。  少しずつレベルが上がっていっても、そこに「チャレンジしよう!」「出来るだけやってみよう!」「最後まで頑張ろう!」といった謙虚な姿勢が必要です。一歩一歩階段を上がっていくことで自信も湧いてくるようになります。それが習慣づいている子供というのは、その先に訪れる困難や難題にも自分で立ち向かおうとしていけるのです。  したがって、教える我々側のほうもなるべく生徒たちには考えさせる時間を作り、時間がかかっても自分で何とかさせ、その結果、出来るという喜びを互いに享受出来るというのがほんとうにやらなくてはいけない教育なのだと私は思うのです。我々側のほうにも"我慢"というこの二文字が今必要に迫られている、社会全体を見ていてもそう感じることが多い毎日です。
28日 4月 2017
 勉強とは、「目の前のかすんだ視界をくっきりとクリアな状態にする!」こういうことだと思います。目の前にもやがかかったような感じでは思い切って前に進むことが出来ません。左右に歩を進めても何かの障害にぶつかりそうではままにならないでしょう。だから、そのもやを少しずつ丁寧に自分の手で取り払っていく。このようなたゆまぬ緻密な作業の繰り返しが勉強だと思うのです。  もやというのは水蒸気が成分です。粒は細かく大気中には無数に存在します。したがって、取り除くには日々努力を続けることが必要なわけです。このようにして水蒸気の成分を取り除くことを引き換えに人は生きる力という小さな細胞を手にし、手にする細胞の数が多ければ多いほど望む人生を歩むことが出来るのです。  しかし、今の時代は、水蒸気だけでなく大気中にはさまざまな微粒子というものが存在します。体に害を及ぼすものやどんどんと繁殖を続けるようなものもあります。これらを取り除くのは容易な作業ではありません。自分の力ではどうしようもないこともあるでしょう。だから、互いに協力し合う仲間という存在が必要になってくるのです。学校のクラスの仲間や塾で席を隣り合わせる友は今まで以上に必要なのです。水蒸気やそれ以外の微粒子を取り除くやり方を教え合ったり、気持ちの部分でも支えあったりすることで乗り越えていく、つまりもやを晴らしていくことができるのです。  また、時には先人の知恵や過去の歴史の出来事からヒントを得ることで、10倍やさらにはそれ以上の水蒸気や微粒子を一気に片づけたりすることも可能になる、学びにはそんな予想だにしない力も隠されているのです。  ところが、このもやが最初から晴れてしまっていては脳は喜びません。活動しようとしないのです。そういう特徴を持っているのが脳という器官なのです。曇っていればいるほど脳というのは喜びを感じ、「晴らそう!それにはどうすればいいのか?」という期待をもって毎日を迎えている、脳とはそういうものなのです。  だから、生徒たち一人一人には自分たちが必ず一人一つ持っている脳というものとのかかわりを大切にしてほしいと思います。脳は勉強をやりたがっているんだと、日々、何が起こるかがわからないことに出会いたくって仕方がないんだと。そのことを信じて毎日いろいろなことに触れあいチャレンジしていってほしい、そうすると見晴らしが少しずつ良くなってきたと感じたときにはもう人生が楽しくて仕方がない、そうなるのが人間の本来の生き方であると私は考えて子供たちと日々触れ合っているのです。

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